近所のケチ子さん(何でも「チョーダイ!チョーダイ!」「いいなあ」「自分ばっかりズルい!」という奥さん)に餌付けしてた同居の祖母。
ただし自分の物はあげない。母の物を勝手にあげちゃう。私の物も2回ほどやられた。
「あら真美子さん(母)の物だと思って?ゴメンね?」って何だそれ。
今までに、母のバッグ、化粧水、ランコムのアイシャドウ、お数珠、万年筆、カシミアのマフラー、腕時計……色々とやられてきた。
もちろん施錠して自衛してるんだけど、父がエネで、祖母にせがまれると中に入れちゃう。
食べ物のたぐいは何度勝手にあげられたか数えきれない。
お取り寄せした宅配便を、母が仕事してる間に受けとった祖母が箱ごとあげてしまったり、時間をかけて作った筑前煮が、ちょっと目を離した隙に1/3になっていたりする。
母と私がキレても、祖母がちょっとメソメソするとエネ父が「お前らには年寄りを労わる気持ちがないのか!」と怒ってかばう。
こんな環境でも、ちょっとずつ温度を上げていくと気づかず茹だってしまうカエルのごとく、ずっとその中にいると麻痺してしまう。
イヤだイヤだと思いつつ、でも世の中にはもっと貧しくてつらい人がいるんだから自分の家庭の悩みなんか些細だと言い聞かせていた。
しかしある日、がんばって包み終わった餃子がきれいに消えてるのを見た瞬間、なんか全部どうでもよくなった。
なぜスイッチが餃子だったのかは母も私も今でも謎。
今までもっと高価な物とかやられてたのに、二人同時になぜか餃子でブチ切れた。
母が仕事で疲れていて「ビールと餃子♪ビールと餃子♪」って楽しみにしながら包んでるのを横で見てたからかもしれない。
二人で「もうダメだね?」「ダメダメ」と言い合って、父が帰ってくる前に荷物をまとめてビジホへ逃亡。
当時母は40代、私は中学生。ちょうど冬休みだった。
ビジホで一泊して、私を母方祖父母の家へ送って、母はとんぼ帰り。
私は母方祖父母の家でお正月を過ごし、ずっと会ってなかったイトコたちと会い、お年玉をもらいホクホク。
母は会社に事情を話して短期で社員寮(古いので不人気。いつも空きがある)に入れてもらった。
父から、母と祖父母に私が拉致られたかのような「無事か」「お父さんはお前の親権だけは守るからな」メールと「ふざけてないで帰ってこい」「あの女の血を引いてるだけあるな」罵倒メールが交互に届いた。
無視してたけど、うるさいから「こっちのおじいちゃんおばあちゃんに会えてすごく幸せ。鍵かけなくても誰も物を盗んでいかないんだよ。おじさん(母の弟)はおばさんをすごく大事にしてるよ。おばあちゃんとおばさんは二人で誘いあって買い物に行くし
お互いの悪口を言ってるの見たことないよ。でもお父さんは幸福な家族がどういうものなのか一生わからないんだろうね。かわいそうだね。でも私までその「かわいそう」に巻き込まないで」と送ったらメールがぱったり止んだ。
ちなみにこのメールは母・祖母・叔母の添削済み。父にダメージを与える言葉を女4人で厳選した。
冬休みが明けて、祖父母宅を出て私は母の住む寮へ。
ある日校門を出ようとしたら父がいるのが見えたからダッシュで戻って母へメール。
母の友人(マシンガントークで父が苦手な人。近所でピアノ塾をやってた)に迎えに来てもらい、二人で校門を出た。
けど父に呼び止められた。
「話したい」と言うので三人でファミレスへ。以下うろ覚えの会話
まず母の友人が20分マシンガントーク。
「仕事は休んだんですか」「義実家へは顔を出さなかったくせに、娘一人なら強く出れるんですね」
「あの女の血を引いてるだけあるな、ってメールを送った娘によくもまあ会いに来れるもんですね」
父、何度も目尻をぬぐう。
母友人「言いたいことがあるならどうぞ」
父、私に向かって「元気か」
私「おばあちゃん家は楽しくて、2キロ太ったよ」(※当時の私はガリガリだった。今は…)
父「お父さんはお前のいない生活がこたえた。お前がいないと死んじゃいそうだ」
私「私はお父さんとおばあちゃんのいない生活でないと長生きできなさそうだよ」
父「お前の欲しがってた××を買ってあげるぞ」
私「(いつの話よそれ。小学3年の時に欲しがってた物しか覚えてないって時点で…)いらないから、おばあちゃんがケチ子さんにあげちゃった物返して」
父「無茶言うなよ」
私「お父さんの言ってる「おばあちゃんに我慢しろ」「戻ってこい」「文句いうな」の方が無茶だよ」
父、舌打ちして睨む
母友人「子供相手に舌打ちとか信じられない。正体出ましたね、この事は皆に言いますから」
母友人がピアノ塾をやってて近所に影響力大と知ってる父、慌てて止めるが、母友人と私は伝票持って店を出た。
父は祖母と二人きりの生活に4ヶ月耐えたが、ケチ子さんとケチ子さん息子が毎日来る環境&秘蔵のウイスキーが段々減っていくのに耐えられなくなったらしい。
祖母もあげられる物が父の物だけになって最初は我慢してたみたいなんだが、ヤルヤルの血が抑えられず…だった模様。
5ヶ月目にして初めて届く母へのロミオメール。
「手遅れでなかったら、僕をきみの家族に加えてくれないか」
「この美しい月をきみと見れないなんて、過去の僕はなんて馬鹿だったんだろう。大切な物を見失っていた」
母「私は今まであなたの家族ですらなかったんですね」
私「たとえお母さんが許しても私は無理。お父さんともおばあちゃんとも二度と暮らしたくないし、泥棒と手引き屋の家族なんていらない」
父の返信「後悔するぞ!」「泣きついてきたって遅いからな!」
しかし調停にするとゴネる。
離婚できた時、私は高校2年生になってました。
「愛のコメント」
大変な時代があったのですね。